光り輝く!光での合宿生活

(10)中国インカレ初出場

3期・工学部主将 沢辺則彦

 まず目に入ってきたのは沖でタッキングマッチをしていた数杯のヨットであった。レースの前日、レセプションぎりぎりに現地入りした我々には何と余裕のあるチームだろうと感じられた。今考えてもやはりこれは余裕なのであろう。”勝ちを狙える”余裕といえるのではなかろうか。包ヶ浦の砂浜に並ぶマストの群れは我々にレースの大きさをいやというほど感じさせてくれた

 とにかく宮島に来た。やっと来たのである。胸がわくわくした。我々はまぎれもなく宮島にいた。

 杉谷さんが運転してくださった大学のトラックの荷台からスナイプを降ろし、浜に運ぶ。浜での山大の位置は一番奥のあたりであった。とにかく遠かった。セールナンバーも三十番台の後半であった。スナイプ三杯を一生懸命運んだ。皆で運んだ。

 運び終わるとレセプションが始まった。広大OBの広島県ヨット連盟のお偉いさんで名前は忘れてしまったが。ダミ声のおっさんが広大−岡大の伝統の対抗戦の話をされ、低迷してきた岡大にハッパをかけていた。乾杯の最中に地震がおこって、遅れて電車で到着することになっていた部員の到着がさらに遅れてしまった。乾杯の後、余興があった。何ごとが起こるのかと見守っていると、広大と近大呉だったと思う、一二年生が前に出て順番の取り合いをしていた。すかさず天河氏の一声で我が山大の一二年生も出撃である。三つどもえとあいなったのである。五期の木村、佐藤、徳山君達の活躍により、レセプションではトップを脅かすほどの頑張りであった。あっという間に山大の名が参加校の中で響き渡った。

 その夜、セールの計測やキャプテン会議が行われ、翌日からのレースの準備万端整ったわけである。我々なりにインカレ合宿を光で一週間程組んで臨んだのであった。スキッパーが4人いた。合宿にフル参加できた私と天河君を固定して、残りの2人が交代でレースに参加することとした。ところがどっこい、良く走ったのは安藤、柿木君の交代組であった。私は目も当てられない散々な成績であった。第一レースはスタート前に本部船の目の前でシモの艇に当てられ、失格、第二レースは第一レースの後遺症でスタートを出遅れてしまった。ドベ。その後もさ30位台という成績ばかりであった。個選で順位をつければダントツの最下位であった。しかし、こんな足を引っ張るヤツがいても他の二艇が頑張ってくれたおかげで、初出場ながら山大の後ろに二校ほどいた。これは順位だけのことであり、最後尾の集団とその前の集団の差はそれほどひどいものであった。レース後、陸へ近づくにつれ聞こえてくる後輩達の「よくやったコール」が今でも耳について忘れることができない。クルーの木元君、ひどい経験をさせてしまった。すまない。

 とにかく、とにかくインカレを初めて戦った。これ以下はないというひどい成績ではあったが、インカレを経験させてもらった。「山大というドへたなチームが参加してきた。」と学連加盟校に知ってもらった。そして同時に、部員約40名という大所帯をかかえ、生きの良い一二年生がわんさといる山大の数年後を広大が恐れていたのも事実である。そして今、優秀な後輩諸君のおかげで我が山大も余裕のあるチームの仲間入りを果たしている。ありがとう。



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