初めての冬合宿

7期 井之上良一

 当時インカレを最終目標にしている各校においては、冬の合宿は半ば常識となっていた。関東、関西の有力校ではずいぶん早くから取り組んでいたと思われる。

 しかし、歴史の浅い山大ヨット部にとっては、やはり冒険的な試みであり、半ば暴挙と映った人もあったかもしれない。初めての試みであり、救助、安全対策が必ずしも万全なものではなかったからである。

 従って、冬合宿の件については幹部の間でも当初からもめた。勝つためには是非具現化すべき懸案事項であったが、安全対策の不備、時期尚早など反対意見も多かった。

 結局決定に導いたのは岡水(7期主将)の決断であったと記憶している。岡水が押し切ってくれた形になったが、スキッパーとして一年間でインカレに臨まなければならないものにとっては、いかに多くの練習時間を確保するかが緊要な課題であったのである。我々の胸にあったのは、少々の危険を冒しても、その見返りは十分あるはずであり、今とにかく始めることがヨット部にとって幾何かの前進であるという思いだけであった。

 実施に当たっては男子だけを対象とし、出艇数をなるべく制限し、強風下での沈艇の救助が確実に行われるよう配慮した。何分光時代のことであり、当時は工学部と時間がすれ違うことが多く、最初本部の連中だけで練習しなければならなかった。この時は出艇数わずか2艇という心もとない練習であったが、岡水と土中が交互にふしのから練習の指揮をとってくれた。470の土中とよく並走したが、強風下の470のスピードには目を見張るものがあり、上りで置いてきぼりを喰うことが多かった。また出艇した2艇とも沈をするということがたびたびあった。

 自分たちの技量では限界だと思うような風やうねりにも幾度となく遭遇した。回を重ねるごとに安定した練習ができるようになったが、沈艇の処理が素早くできるようになった成果であった。

 今思い返してみると危機的状況はいくらもありながら、たいした事故がなかったのはやはり運がよかったのであろう。出艇数が少なかったため、レース練習をするまでには至らなかったが、反面基本練習は十分すぎるぐらいによくできたと考えている。

 初めての冬合宿から今年で四年目になるが、その後安全対策の面からも練習の充実という面からも創意工夫が為され、より中身の濃いものに変容していると思われる。いつも心に祈っていることは今でも事故がないようにということである。事故の前には、伝統も歴史も無意味だからである。併せて現役諸君の今後のますますの健闘と活躍を祈っている。今からが山大ヨット部の時代である。

 最後にお詫びを申し上げる。原稿を依頼されたものの当時のことを末節に至るまでどうしてもあからさまに思い出すことができない。印象に残る出来事であったはずだが、唯一骨格のみを記憶にとどめているだけである。練習中に交わされた会話等思い出せず、無味乾燥な記述に終始したことをご勘弁いただきたい。



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