光り輝く!光での合宿生活

(3)夏合宿、そしてインターハイ補助

3期 佐藤昭信

 ヨット部創立の一年後、昭和52年8月、我々は初の夏合宿を持った。「卒業までは陸トレのみ」を覚悟していた我々にとって、夏合宿の実施は驚異であった。この陰には、山口県ヨット連盟をはじめとして関係各位のご援助があったことは言うまでもない。また、初代、二期主将を中心としてヨット部創立に力を注いできた我々の努力(微々たるものであったが)の結果であったとも思う。何はともあれ、こうして第一回合宿は始まった。

 練習場所は光市室積ヨットハーバー、宿舎は付属光小・中学校わきにある教育学部の研修所である。一日のスケジュールを紹介すると、先ず朝6時に起床後すぐに朝のトレーニングを開始。ランニングと筋力トレーニングを30分余り行い、終了後ただちに朝食。そして7時には宿舎を出発。問題はこのあとである。なにせ宿舎から室積までは4km余り。これをランニングで行くのである。出艇前の大トレーニングである。

 到着後、着装に取りかかり、8時出艇。晴れて海上での練習開始である。しかし、この時の練習艇は全て借り物で、木造のスナイプが2艇、レザー1艇、フィン1艇であったと記憶している。救助船も持たない我々にとって、独自の練習は到底無理で、光高、聖光高との合同練習であった。全国レベルにある両校の足を引っ張らないようにと思いつつも、高校生のはるか後を走ることの多かったのが現実であった。

 12時、昼食のため着艇。そして午後1時再び出艇。二度目の練習ののち、午後4時再び着艇。実はこの後、一日のうちで一番ハードな時間が我々を待っていたのである。それは、海辺でのトレーニングであった。あの長い室積海岸の砂浜でのランニングに始まり、各種の筋トレへと連続するのである。特に腹筋100回ともなると、腰のあたりが砂に埋まり、負荷も増大して、ついには腹筋にケイレンのおこる有様であった。そして、この恐怖のトレーニングの終了後、再び宿舎までのランニング。宿舎に着くころは、皆足取りも重く、やっとの思いでの帰着であった。それからつかの間の休息のあと夕食。疲労のわりには皆食欲旺盛で、丼飯4〜5杯が平均であった。その後入浴、ミーティング、勉強会と続き、夜10時就寝。やっと一日が終わるのであった。食事当番は、2〜3人で交替して行った。ハードな毎日の中にあって食当は憩いの時であった。それゆえ、食当は大いに歓迎された。それほど辛い合宿であった。

 さて、この年、岡山県下を中心に高校総体(インターハイ)が開催され、室積海岸がヨット競技の会場となった。その大会の補助員として我々山大ヨット部も参加することになった。生の本格的ヨットレースの見学は初めてのことであり、大いに勉強もしようという気持ちでこの役目を務めた。宿舎は光青年の家。本部船上で船酔いする者もいたが、何とか無事、役目を終えることができた。この大会期間中は強風の日が多く、沈艇が続出するレースも何度かあった。こうした条件下でも必死に頑張っている高校生の姿を見て、大いに感動を覚えたものである。そして、この大会の終了後・・・・・。我々山大ヨット部にとって記念すべきことが実現したのである。

 この大会で使用された新艇約30艇のうち3艇が我々ヨット部の所有となったのである。新艇3艇(3、4、15)が我々のものに・・・・。この時の驚きと喜びを、現在秋穂にて活躍中の現役諸君、あるいは卒業された後輩諸君には、理解していただけますでしょうか。



Copyright(C) Yamaguchi University Yacht Club
inserted by FC2 system