光り輝く!光での合宿生活

(9)たくましき女子部員達

5期 国沢(赤穴)陽子

 大学を卒業して、社会人となり、結婚し、平凡ではありますが、一応順調に人生のコースを進んでいます。大学時代もだんだん昔の事となり、楽しかった事、つらかった事、くやしかった事、いろんな事がよき思い出となっていきます。

 早いもので山口大学ヨット部も、10周年を迎え、毎度レースの結果を知らせていただく度に、ただ年数だけではなく、実績も伴って確実に発展して行っているのが良くわかります。それと共に女子部も確立不動となり、中国レディースなど女子部のレースにも参加し、去年は優勝までしたとの事、私達元女子部員にとっては何より嬉しい事です。

 さて、今回「たくましき・・・」というタイトルをつけられてしまいましたが、私達、女子一期の頃は実際どうだったのでしょうか?

 大学に入学して数週間、何かしなければと思っていた矢先、宮崎さんと一緒に見つけたのが、ヨット部試乗会のポスターでした。気軽に行った試乗会が運の尽きだったわけですが。試乗会、部会、陸トレ、そして土日の光での練習まで、何かに引っ張られるように参加していきました。

 女子一期は、福嶋さん、宮崎さん、私の三人で、とにかく2年ぐらいまでは何をするのも男子と一緒で陸トレも帆走もでした。教養学部の玄関前から河川敷までのランニングは慣れてしまえば何でもない距離なのに、最初はこれがきついんです。特に高校時代に運動をしなかった私にとっては。

 それでも慣れか、あるいは元来の負けず嫌いか、男子の列について行けるようになりましたが。また、光で土日の練習がある時は艇庫の二階でシュラフにくるまって雑魚寝。強風で波の高い日に配艇が決まった時のショック。初めて沈した時。

 きっと今では当然のことのようになっていると思いますが、私には、最初とても抵抗がありました。それでもこれらを当然と思わなければきっと続かなかっただろうと思います。

 具体的にはたくさん書けませんが、いつもとにかく男子についていかなければ、そして2年の後半くらいからは、少しずつ女子部を確立していかなければ..と、気が張っていたように思います。そのあたりから「たくましき・・・」という印象を与えていたのかも知れませんね。

 私達、5期生が新入生の時の新歓コンパで、村上先生が私達女子三人に、「とにかく頑張って四年間続けなさい」と、あいさつの席上言われたことを今でも覚えていますが、本当にその頃は女子部がどうのこうのではなく、途中でやめないで、最後まで続けられるかどうかの方が問題でした。私達はなんの実績も残すことはできませんでしたが、私達が何とかいたから現在の女子部に至っているとしたら、これほど嬉しいことはありません。

 現役の「たくましき女子部員達」これからますます頑張って伝統を築いていって下さい。



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