中国インカレ総合優勝

9期主将 滝本豊樹

 昭和60年6月24日 その日は山口大学ヨット部にとって決して忘れられない日となるだろう。

 そう、その日は昭和60年度中国学生ヨット選手権大会最終日である。中国インカレ、それは山大ヨット部にとって大きな目標であり、そこで勝利を収め、全日本インカレに出場することは、我々にとって最大の夢であった。

 山大ヨット部が中国インカレ初出場以来6年、多くの先輩方がこの目標に挑み、そして敗れた。前年はスナイプ級が1/4点差の3位という所まで行きながらも結局は敗れた。中国インカレを前に、今年こそは勝てという先輩方の激励が我々に当然寄せられた。また我々は我々なりに心に期するものがあった。「今年は俺達だ。いよいよ俺達がやる番だ。」

 我々第9期ヨット部は、そのような期待を背に、そして、燃える思いを内に秘め、この中国インカレに挑んだのである。

 勝利への気迫は十分だった。今年こそは勝つ。必ず勝つ。部員の誰もがそう思った。そのためにこの一年あれだけ苦しい思いをしてきたのである。そして勝利に対して俺達なりの自信もあったし、練習量と執念だけはどこにも負けないという自負もあった。

 そしてレース。一日目が終わってスナイプ級三位、470級二位。二日目、風待ちの末、雨の中1レースのみが行われた。そして終わった。全レースが終わった。あとは結果を待つのみである。

 いよいよ結果の出る時が来た。陸上本部の前に全員が集まっていた。降りしきる雨の中、皆びしょ濡れのままで、今か今かと待った。そして結果が貼り出された。

 スナイプ級二位、470級三位、総合優勝。

 「ウォーッ」という歓声の中、みんなが泣いた。スナイプ級は喜びに、470級はくやしさに泣いた。俺は今思う。あの時の涙が俺達第9期の四年間のすべてだったと。

 それ以外の何をもってしても決して語れない、俺達だけの四年間だったと。

 終わった。俺達が目指し続けた俺達の中国インカレが、こうして終わった。馬場が、北村が、川口が、猿渡が、とにかく全員が頑張った。

 そして、その影には不運にも事故で泣いた高橋がいた。そして、その全員が同じ一つの目標に向かい、ティラーを握り、メインをひき続けたのである。この結果が俺達のすべてだ。

 この中国インカレで我々は、全日本インカレ初出場の切符とともに、中国インカレ総合優勝というもう一つの結果を得た。この総合優勝には、やはり大変大きな意味がある。

 スナイプ、470の各チーム順位は別として、大学としての総合力、すなわち全員の力としては、我々が、山大ヨット部が、この年、中国水域で最も速かったという証なのであるから。

 つまりこの総合優勝は誰のおかげでもない、俺達全員の手によるものなのである。

 そう、この総合優勝は俺達第9期山大ヨット部が、苦しみの果てに全員の力でつかみとった血と汗の結晶なのである。

 俺は、今でも、この結果とそれを生んだ仲間達を、そして、その仲間達全員が、がむしゃらに青春を燃やした山大ヨット部を心から誇りに思うのである。



Copyright(C) Yamaguchi University Yacht Club
inserted by FC2 system