全日本インカレ個戦出場

<回想録集1>

9期 猿渡一也

 1985年6月22日〜23日において挙行された第29回中国学生ヨット選手権大会、私はこの時のことを一生忘れないだろう。

 この大会にそなえて私たちは、恒例のインカレ合宿を組んでいました。この合宿で、大方の他大学の戦力を分析し、走り比べてみたところ、大したことはないという自信を得ることができた。結果的に、この自信こそが、私を全日本インカレに出場させる原動力で合ったと思う。

 ここでレースを再現してみると、初日の第一レース、スタートで出遅れてしまい、セオリーどおりのコースを取り、第一上が4位くらい、その後、フリーで内側に切れ込み、サイドマークはトップ回航、しかし、上りのコース取りに失敗し、第二上が3位になり、そのままフィニッシュ。この結果でますます自信は深まり、その後の第二レースでは、風が落ちたせいもあって9位、風が落ち着いた第三レースでは再び4位という成績であった。初日を終わった時点では、チーム得点では2位であり、私個人も3位というまずまずの成績だった。

 そして迎えた二日目に、雨の中の微風での決戦となった。この第四レースが、生涯忘れられないレースになろうとは思っても見なかった。雨と無風のため、2〜3時間ほど待たされた末のスタートであった。ライン中央からスタートした私は、まずまずの艇速で上マークは9位くらいで回航、先行艇がサイドマークを見失っていた所を、私たちはサイドマークへ一直線に進み、サイドマークは3位で回航、風が落ち、潮の流れを読んで、上の方に走った私たちは遂にトップに立ち、そのまま下マークを回航し、栄光のトップフィニッシュを飾ったわけです。TLがたくさん出たこのレースで、私たちは個戦2位を確保したわけです。

 最後に、この中国インカレを振り返ってみると、やはり常に自分の走りを信じ、誰にも負けるはずがないという確固たる自信を絶えず持ち続けることが勝つための一番の秘訣であると思う。

 もちろん、それは、豊富な練習量とレース経験に裏打ちされたものでなければならない。しかし、私は、現在のヨット部の練習方法に満足することなく、絶えず新しいものを取り入れ、進歩させることなくして、本当の意味での黄金時代はやって来ないと思う。一日でも早くヨット部の黄金時代を築いてもらいたいものだ。


<回想録集2>

11期 前田正宏

 全日本インカレという、我々ヨット部の最終目標である大会に、二年生のうちから出場させてもらい、ただもうそれだけで満足であった。必死になってヨットを走らせた。レースの時は相当あがっていたが、今でも結構思い出すことが出来る。特に後の方を走っている時等は、前の艇をまとめて抜いてやろうなどと甘い考えで走らせていたように思う。

 自分も来年とうとう最後の年になるので、もう一度、全日本インカレに出場してあの雰囲気を味わいたい。やっぱり全日本インカレは最高である。


<回想録集3>

10期 安東正晃

 1985年夏、神奈川県江ノ島沖にて第50回全日本学生選手権大会が行われた。自分は個人戦で中国地区予選3位であられた川口さんのクルーとして出場した。

 結果は本当に悲惨なもので、三レース総合して44位に終わった。スタートしてからフィニッシュするまで全く、中国インカレで感じたような緊迫したレース展開など味わうことは出来なかった。もちろんレース中は最後まであきらめずに走った。しかし、他のヨットはどれも自艇より速かった。

 当時の自分は、中国インカレへ初めて出場して、ようやくヨットというスポーツについてわかり始めていた。しかし、ヨットレースにおけるタクティクスや、基本的な艇のチューニングなど十分に理解していなかったので、全日本への出場権を得たときは、(個戦3位は嬉しかったが)はっきり言って非常に不安だった。

 今、ヨット部を引退して、あの時の敗北について断言できることは、とにかく実力の差である。中国インカレで前を走り、また全日で走っていてもまともな順位でまわるためには、宮島で走った力が真の実力であらねばならないと思う。

 山大ヨット部が本当に強いクラブだと言われるまでには、まだまだ努力と根気が必要ではなかろうか。


<回想録集4>

10期 西村俊宏

 1985年8月23日、残暑厳しい快晴の江ノ島。憧れの全日本インカレ出場に心を躍らせ、ハーバー入りしたのであったが、出走申告受付直前まで艇をもらえず、出艇して沖まで出ると、既にクラス旗が展開されていた。結局何も出来ずにスタート。さすがに全国レベルは高く、フリーであっという間に抜かれたのにはショックを受けた。

 また、暑さとロングレグに頭はボーッとして、何だかわからないうちにレースは終わり、悲惨な結果に今でも残念に思うこの頃である。


<回想録集5>

11期 谷川雅彦

 去年の夏に全日本インカレに出て、既に一年以上が過ぎました。今、思い出してみるとハードマストの艇に乗せられたり、団体戦の時借りた広大の艇についていたコンパスやコンピュータ・コースの使い方がわからなかったり、ウィスカをはずしたり、肌の白さだけは日本一だったりと、随分恥ずかしい思いをした事が印象に残っています。

 また、遥か彼方にけし粒の様に微かに見える上マークまでの延々30分〜40分のハイクアウトを毎日の様にやり続けることの苦しさを体験し、それと共にコースの選択がいかに重要でかつ難しいかを学ばせてもらった事も貴重な経験でした。

 私たちは現在、中国インカレに向けて練習を積み重ねておりますが、是非これを突破して全日に出場し、かわいい後輩達にも全国から選抜された学生達から何かを学ぶ機会を与えてやりたいと思います。そして、それが私達の後輩にしてやれる現役として最後の仕事となるのです。



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