光り輝く!光での合宿生活

(2)山口県ヨット連盟への加盟

村上先生(名誉会長)

 ヨット部が出来てまだ三ヶ月程度であったが、県連の援助と指導がなければとてもだめだし、差し当たってヨットに乗るとしたら光市まで出かけるしかない。そういうことで、昭和52年の1月だったと思うが、大庭さんと一緒に光高校まで行った。そこで、登村校長さん、渡部、藤岡両先生にお会いして、山大にヨット部が出来たのでよろしくご指導ご援助をお願い致しますと頭を下げたのが、県連加盟の第一歩であった。その後、学生が何度か光高に出かけて、先生方と相談して春合宿が出来るようにしてもらった。

 そうこうしているうちに、3月27日、よっと連盟の総会を行うので来いと言ってきた。駅前の松屋旅館に行くと、一室に案内されて待たされた。山崎、稲満両君も一緒であったと思う。隣で総会が始まった。まず山大ヨット部の加盟が議題になり、満場一致で承認されたようであった。そこで総会に出席して一言お礼を述べた。その中で、山大ヨット部を指導する上で、私が学生に要求していることとして、「体を動かして考えること、結果について言い訳をしないこと、ひた向きに前進すること」であるというようなことを言ったように記憶している。今も昔も変わらないことを言ったものである。

 この年の8月に、光でインタハイのヨット競技が開催されることになっていたので、山大ヨット部の加盟は手伝いの確保ということで、大変に歓迎されたというわけである。

 ところで、この総会の懇親会の前に、山崎、稲満両君から県連の鈴木理事長さんの紹介でコーチが決まりましたと言って、コーチに決まった人に引き合わされたのには少なからず驚いたし、不快であった。まだ体制も何もできていないクラブで、顧問教官抜きで勝手にコーチという責任者を決めてしまわれては、私は責任を負いかねると思ったからである。

 この不快と割り切れなさが後々まで続いたが、鳥越君の主将のとき「事件」となったのは、そもそもコーチの頼み方がまったく組織体制を抜きにして、学生と県連理事長の個人的判断でなされたというところに原因がある。私は今でも彼らのやり方に不快感をもっている。一年ほどして、県連に言ってコーチを強化委員にかえてもらった。二期生の何人かは大いに不満で、これでは強くなれないと言っていたが、コーチがいなくても中国インカレで優勝したのだから、私の判断は間違っていなかったと思っている。

 県連加盟の総会は、ヨット部の競技としてのスタートであったが、同時に光におけるいろいろな団体や人たちとの接触と関係のスタートでもあった。今日でもまだ一人前という評価がなされていない部分があるが、当時は、お荷物の山大という雰囲気で、必ずしもすべての人たちから歓迎されたというわけではない。しかし、光高や聖高の先生方、企業のシーマンの方々からの援助は、大変ありがたいものであった。

 あれから10年、山大ヨット部が県連の構成員として、山口県のヨット競技の向上と発展の一翼を多少とも担うまでに成長してきたことは確かだと思っている。今後も、さらに県連の発展のために頑張ってほしいと思う。



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