II.卒部生と学年との関係

顧問教官・部長 村上保壽(現名誉会長)

 卒部生(OB)の互いの親睦をはかる為の団体を結成することは、昭和54年頃から考えられていたが、昭和56年2月に会則原案を作成し、4月1日にOBの団体、濤瀾会が発足した。

 濤瀾会はOBの親睦を主とする団体であるが、同時にヨット部を支援することを目的としている。この親睦と支援の意味をどのように考えるかによって、実際には大変異なった性格の団体ができ上がることになる。昭和57年、6期生の幹部のときに起こった「事件」を契機に濤瀾会の性格が問題になったのも、親睦と支援の意味づけが確定していなかったからである。

 同好会のOB団体だと単なる同好の士の集まりにすぎなく、現実に学生の同好会が存在しているかどうかは問題にならない。しかし、体育会の運動部(大学を代表する団体)のOBの集まりは、学生の運動部の存在が大前提であり、学生が大学を代表して競技する限りその学生の指導に社会的責任を伴うのである。この当然のことからすれば、親睦と支援をかかる大前提と社会的責任を予想しているといえよう。濤瀾会もかかる団体として、まずヨット部の存在と競技において強くなり発展することを育成する為の親睦と支援を目的としている筈である。

 昭和57年の「事件」と濤瀾会役員の交代および2期生の一部の退会を契機に、濤瀾会の性格が上記のようなものとして明確になったことは大変結構なことである。以後、OBと学生の交流もヨット部の強化育成を前提とするものとなり、西日、中国、全日インカレに際しての援助が確実にヨット部を強化してきたことは、誰も否定できない事実である。そのような支援の成果として、昭和60年の中国インカレ総合優勝を捉えるべきである。

 また、各コンパおよび濤瀾会総会、OB戦の折に学生との交流をはかることは非常に重要である。大切なことは、学生とOBとが機会のあるたびに交流し、対話をもつことである。学生側もOBを心から受け入れる体制をいつも考えておく必要があろう。ヨット部の次の10年は濤瀾会の充実にあると思う。現役員諸君の方針が、共にヨット部の歴史をつくって行こうとしている限り、ヨット部の強化と育成はさらに質的に向上するものと期待している。



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