光り輝く!光での合宿生活

(8)ある救助船の一生・・・ゼーゲルン

 A ハプニング集

5期 佐藤公治(現濤瀾会副会長)

 ゼーゲルンがいかなる苦難を乗り越えて、その誕生を見たかは沢辺先輩記述の如くであるが、苦難の誕生はそのまま苦難の時代を築いていくこととなる。

 このハプニング集では、思いつくままを列挙していくので、まとまりに欠けるかもしれないことを断っておきたい。それと、ゼーゲルンの初代船長沢辺さんより引き継ぎ、船長となった武内さん、徳山君、金子君の並々ならぬ苦労があったことは言うまでもない。

1.沖にうねりがあり、白波があったら、まず光研修所横の港を出られない。

2.思い切って出港はするものの、途中でエンジンが止まる。

3.やっと光海面にたどりついて、練習を始めると、ヨットのほうが速い、後から追いかけていく、指示をするフエの音もとどかず、みんな自分勝手にタックする。

4.その時、手のあいた後輩は、先輩の命令で、全員あか汲み。

5.そうすると、船の塗料がはげ、あか汲み員の服は赤く染まる。文句を言ったらにらまれる。

6.強風の時は、出港を取りやめ、光高・聖高の救助船、光丸(船長、故キャプテン浜田)を借りる。

7.練習途中から強風となると、あまり動き回らず、ただじっとみんなの安否を気づかう。へたに動き回ると、ローリングが激しく、ゼーゲルンが危ない。

8.アンカーリングの時、スクリューにロープを巻きつけ、またも練習中止。

9.かじをとろうとするとかじ棒が抜け、勝手にラダーが曲がる。(最初のかじ棒は、沢辺さんと宇部の山中に入り、アベックの目を盗んで、勝手に切ってきた桜の木である。)

10.ハプニングのしめくくりは何と言っても寿命の短さにある。

以上、何やかやとゼーゲルンの悪口を言ってきたのであるが、彼にも言い分はあろう。宇部の港で静かな余生を送っていた所に、アフロヘアーに口ひげをはやした見かけは30位のトッツァンと、精神科の医者の卵と、悪ガキ数人が乗り込んできて、思い出すのもおぞましい光の海へ引っ張り出されたのだから、たまったものではない。光の海にたまに出れば、光丸には差をつけられ、得意顔のタコ八(広大OB)からは相手にされず、ひたすら、悪ガキの言うとおりに頑張ろうとしたが、何せ老体、気力だけでは煙突から煙がでるばかりである。

 しかし、彼の存在があったからこそ、次の世代を担う「ふしの」が生まれたのである。彼の生みの親の沢辺さん、名付け親の柿木さんはじめ、彼と一時代を共にした部員一同は、初代救助船ゼーゲルンの名を、あの光の海と共に、青春の一ページの左から三行目くらいにはとどめておくことだろう。我々に数々の教訓を与えてくれたゼーゲルンに感謝し、この項を終わりたい。

 尚、文章中、その流れの具合により、はなはだ失礼があったことをお断り申し上げます。



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