はやて購入
8期 前田憲明
秋穂に移って一年になろうとしていた。
正確にはわからない。
たぶん春だったと思う。
村上先生と研究室で雑談している時、ふとボートのことが話に出た。
ふしの一艇では救助を含め練習するのに不便である。
特にふしのから浜まで人間を運ぶボートがほしい。
ボートがあれば、連絡はもちろん、三校対抗の時監視艇にも使える。
是非一艇、ボートを買ってもらいましょう。
さっそく、企画に移った。題して「ボートを春までに購入するよう大学をくどくには」である。
村上先生の企画力はすばらしい。
日本テレビの「元気が出る商事」も顔負けである。
一週間後、学生課に行くと、林さんからボートの件について聞かされた。
何をどう間違えたのか、学生課の人々は、秋穂で魚をつるために、イケスのついたボートが必要であると考えていた。
買ってもらえるなら理由はどうでもよいのである。
三人用のボートが艇庫に顔見世したのは間もなくのことであった。
ちなみに、スクリューをあげたのも進水式の日であった。(誰でしょう?ヒントふくらはぎ...)
話は前後するが、ボートが買ってもらえることになった日のことである。
ボートの名を決めないといけないとの指令が村上先生から幹部に飛んだ。
さっそく幹部と村上先生とで名前を考えることになった。
数々の名が上がった。多くのものは笑いとともに消えた。
伝馬船だから「てんま」というものもあった。「極真丸」や「闘魂号」という誰か好みのものもあった。ふしのに対して「姫山」や、「一の坂」、「五十鈴」、「仁保」という地名ものや河川名もあげられた。
結局、いくつかまともそうに聞こえる名を、幹部の挙手によってピックアップした。
そして、村上先生の研究室にある「ダーツ」によって最終決定がなされたのである。
村上先生が投げた運命のダーツは、「はやて」に命中したのである。
かくして、連絡船「はやて」が誕生した。
疾風(はやて)のように速くはなかったが、これからもずっとヨット部のために働き続けていってもらいたいものである。やがてはもっと大きなボートが購入される日がくるだろう。
その時こそ、はやての上からのんびりと釣糸をたれ、波も風もない静かな海面と秋穂の美しい景色の中にとけこんでみたい。